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男女の友情以上の複雑な気持ちが込められている『君の膵臓をたべたい』というメッセージ

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ずっとみたいと思っていた映画『君の膵臓をたべたい』を視聴。

 

君の膵臓をたべたい

君の膵臓をたべたい

 

 

母校の高校教師になった志賀(小栗旬)は、学校の図書館の解体に伴い、本を整理することになる。というのも、彼自身が本の配列を決めたから。その作業をしたときに思い出したのが、一緒に手伝ってくれた高校のクラスメイト・桜良(浜辺美波)の存在。

高校生のときの志賀(北村匠海)が盲腸で入院中にたまたま桜良が膵臓の病気で死期が迫っていることを知ってしまい、そこからなにかと桜良が志賀へつきまとうことになる。

人と関わることが苦手な志賀とクラスの人気者の桜良。交わるはずがなかった2人が次第に心を通わせるようになる物語。

 

現代パート(高校教師の志賀)かと思えば、回想パート(高校生の志賀)に移っていたり、時系列が行ったり来たり、多少混乱しやすい描き方だが、それにより、現代の志賀の心境に共感しやすいように作られている。

 

そして桜良の死は必然であることが冒頭からわかっているのに、彼女の人間らしい生き方が魅力的で引き込まれるし、その喪失にはこちらも胸が苦しくなる。

ただそれだけでなく、桜良の最期は予想だにしていなかった展開だっただけに、驚きとともに、彼女が志賀に説く「誰だっていつ死ぬかわからないのだから、1日を大切に生きる」ことが身につまされる。

 

そして、人と関わることを面倒臭がって本にばかり向き合ってきた志賀が、桜良のおかげで少しだけ人間に興味が持てるようになったこと。それもこのストーリーでは重要な描写かもしれない。

 

「ラブストーリーかと思いきやラブストーリーではない」というのはテレビの映画紹介コーナーか何かで聞いた覚えがある。

確かにわかりやすいラブストーリーではないが、短時間に恋人くらい濃密に心と心を付き合わせた男女の物語とも言えるし、とにかく、ただ単純に男女の友情とは言い切れない複雑な想いをお互い抱えているのはわかる。

もしかしたら、その感情に至ったのは2人ともお互いの存在に「憧れていた」からなのかもしれない。

その気持ちが詰め込まれているのが「君の膵臓をたべたい」という言葉。

 

膵臓をたべる、その表面的な意味は映画序盤であっさり教えてくれるが、真の意味はもっと深いところにあったのだと、最後の最後で気づかされる良作だった。